哲学者重要人物物語・デカルト

哲学者重要人物物語・デカルト

近代哲学の祖、ルネ・デカルト。中世的なスコラ哲学からの完全な脱出と機械論的自然観を打ち立てた人として知られる人。哲学を神学の婢(はしため)から救い出し、宗教的要素を哲学から追い出した人。デカルトに関していえば、そのような評価がなされることが多い。もちろん、一面的に見ればこれもまた間違った解釈ではない。しかしデカルトははっきりと、神への依存なくして世界が成り立たないことを証明しようとし、無神論的世界観を打ち立てようと企てたことはなかった。

有名なデカルトの言葉に、「我考える、(ゆえに)我あり」(羅:Cogito Ergo Sum仏:Je pense, donc je suis)という命題がある。これは、デカルトが生きた当時に流行した懐疑論(※1)を方法的に、徹底的に推し進めてみると、何も疑いえないものとして唯一自我だけが残る、という言葉を端的に表した言葉である。しかし、神の存在証明をなそうとしたデカルトは、決してこの自我は、単独では立ちえないことも示唆しているのである。

奇妙なことに、この近代哲学の祖は、後世では神からの独立を説いて哲学という分野を確立した人物と評されることは多いけれど、彼自身、無神論者として見られることは酷く嫌ったし、また自身の著作が異端説ではなく、カトリックの正当教義に沿った考えだと見なしていた節がある。

実をいうと、彼の哲学説における神の立場については、彼が生きた当代における宗教改革との直接的な接点はデカルトはほとんどない(※2)。どちらかといえば、文学上のルネサンスの潮流と関係が深い。が、ここでその点に深く立ち入ることはやめよう。

史的にいえば、デカルトはその晩年、DOLでも登場するスウェーデン王国の女王クリスティーナの招聘に応じ、クリスティーナに講義を行ったともいわれている。だが、スウェーデンに着いてほどなくして、その寒さなど環境に耐えられなくて亡くなったと言われる。そして、その後新教国のトップだったクリスティーナがカトリックに改宗するということを行った。これもデカルトの影響であるとは言われているが、改宗を誘う人間デカルトが、無神論的な考えではなく、敬虔な宗教心を持っていたのは容易に想像がつくであろう。

さて、キルケゴールは未完の草稿『ヨハンネス・クリマクス―あるいはスベテノモノハ疑ワレルベキデアル―一つの物語』において、一つのデカルト論を書こうとした。それは、キルケゴールがデカルトの思想に一定の共鳴を示したことから行われたものであるように思われる。すなわち、一つはデカルト的自我の思想と自身の自我論・あるいは人間論といったものの近さがあり、さらに、そのデカルトの自我が神によって立つものであることが、最もキルケゴールの共感を生んだのであろう。共感したからといって、デカルトの言ったことがすべてを正しいと考えたとか、そういったことでは決してない。しかし、ヘーゲル的な思想とは違って、神に絶対的価値を認めている点では、やはりデカルトとキルケゴールは似ている部分もあるのである。

まとめると次のとおりである。デカルトとキルケゴールは一見して、正反対のことを言った人物として受け取られることが多い。具体的なイメージとして、デカルトは神からの独立を唱えた人物として、大してキルケゴールは神への帰依を説いた人物として見なされることがある。だが、そのような一面的な解釈では、キルケゴールがデカルトにある程度の親近感を持った理由など見当もつかないだろう。実際には、デカルトはスコラ哲学的信仰から、理性による神の把握へと、キルケゴールはヘーゲル的な理性信仰から神に対する関係が人間の生き方に大きく作用し、神への真の信仰を説いたわけだが、どちらにも共通するのが、後者(神の価値)が前者(それぞれにとって中途半端な神や信仰概念)より大きなものであることなのだ。

※1 懐疑論とは、見えているこの世の一切は幻のようなもので、本当のところは誰も知ることができない、君の考え方は確かにこの説明はできるかもしれないが、こちらはどうかね、違うだろうといった考え方。不可知論もこの一種と考えておけばよい。実はソクラテスは懐疑の人だが、同時にそのイロニーによって、その弟子たちに新たな見地を見させることが出来たと言う点で生産的な人ではある。だが、デカルトが生きた時代のスコラ哲学やほかの思想に対する懐疑はそのような生産的なものではなく、ただダダをこねるような有様だったのだ。もちろん独断論か懐疑論かの違いはありはすれど、ソクラテス登場前のソフィストの詭弁とデカルト以前の懐疑論は類似であり、ソクラテスとデカルトのそれぞれの存在もそれまでの考え方を一転させたという点では類似である。

※2 この点、デカルトの同時代人でジャンセニスムに大きな影響を受けたフランスの哲学者パスカルとは異なっている。ジャンセニスムの考えは宗教改革に大きな影響を受けている(というより、アウグスティヌスの一部の解釈を承継しようとする点でカルヴァン主義と共通点を有している)。