哲学者重要人物物語・カント

哲学者重要人物物語・カント

近世哲学の大御所カント。理性により仮象の理性を斃し、真の理性を復活させようとした理性の人。その代表的著作として知られるのは、三批判書である。三批判書とは、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』という三つの批判(※1)を行った書物であるが、批判という名前こそついていないが、第四の批判書ともいうべき『単なる理性の限界内における宗教』の宗教論をキルケゴールの宗教論と対比して考えていくのが、カントとキルケゴールの関係を考える上で最も良い。だがそのことはキルケゴールの項目で語ろう。
 
さて、カントがいう理性とは何だろう。簡単にいうと、ある物事があるとすると、「なぜその物事が存在するのか」という能力のことだ。この能力があるからこそ、人間は因果能力を認識し、将来の出来事の予測やその予測したことから危険回避などができる。
 
理性はデカルト以来の近代哲学で絶対的な領域に置かれていた。人間には等しく理性が備わっていると考えられたからこそ、平等が大事にされた。
 
では、なぜ、なぜ、なぜとこの理性能力を極限まで使うとどうなるか。それがカントの大事な仕事の一つ、アンチノミーの提出とその解決である。アンチノミーとは二律背反のことで、同時に存在すると矛盾する二つの事柄が成立してしまう状況を言う。
 
カントの第一アンチノミーは時間と空間に関するものだ。簡単に言うと、時間と空間について理性を働かせて極限を考えるとどうなるのか、そういうお話。
テーゼ 時空は有限である。
アンチテーゼ 時空は無限である。
この二つのテーゼ、ここでは詳述しないが数学でいう背理法を使うとどちらも真になってしまう。
 
このアンチノミーに対するカントによる解決法はこうだ。
時空というのは、感性の主観的な形式である。それゆえに、感性と対立する理性が時空を扱うとおかしなことになってしまう。時空は客観的なものとして理性でいくら考えても捉えようがない。時空とは感覚器官でとらえる主観的なもの、簡単にいうと感覚でしか感じられないものなのだ。そうすると、そこに理性が入る余地はない。
 
そもそも感じるしかできないものに、有限や無限などといった大きさや量などない。
だから、テーゼもアンチテーゼもどちらも偽となり、このアンチノミーは仮象矛盾となる。
 
この解決法をとったカントは何が言いたかったのだろうか?
理性と感性は協業してはじめてこの世界に現実感、リアリティーを与えるのだ。
だから感性が扱う領域を理性で論じても解はでない。こういうことを示唆してくれたのだ。
 
そしてもう一つ大事なアンチノミーがある。第三アンチノミーだ。そのことについてはアンチのブログに書いてあるので、また読んでほしい。
 
第三アンチノミーによって解決された自由と因果律の関係から、自由はカントの実践理性、つまりなにかしら行動する上で判断する際に使われる理性能力への考察へと移行する。
 
そしてカントは実践理性から道徳の原理を導きだすが、これが後世不評だった感じは否めない。そしてそこで出てくるのがヘーゲルである。

※1 批判とは、カント哲学では特にふるい分けるとか、正しく選別するという意味合いが強い。俗的な使い方である、人を「批判」して、こき下ろすといったような意味合いはない。