スピノザ 自由意志の否定
- 2011.04.07
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「定理48 精神(魂)の中には絶対的な意志、すなわち自由な意志は存しない。むしろ精神は、このこと、あのことを意欲するように原因によって決定され、この原因も他の原因によって決定され、さらにその原因も他の原因によって決定される。そしてこのように無限に進む。
定理49 精神のうちには、観念としての観念がふくむ以外のいかなる意志作用も、すなわち肯定、否定も存在しない。」
(『エティカ』 第ニ部「精神の本性および起源について」)
スピノザは自由意志の存在を否定する。それは哲学史の常識である。では、なぜスピノザは自由意志を否定したのか。自由意志を否定することでどんな良いことがあったのか、そこについて少し考えたい。
この理論の「有用性」は、第五部で明らかにされるだろうと、スピノザは言う。その前半では自由意志を否定することの実践的な意味が、その後半では「第三種の認識」の実践的な意味がそれぞれ取り扱われる。
定理48でスピノザが否定したのは、あくまでの一般的な能力と言う意味での自由意志の存在であって、個別的な意志作用の存在は否定していない。定理49では、個別的な意志作用の存在としての自由意志が否定される。われわれは自分が考えていることを意志しているだけであって、まず何かを考え、しかる後にそれを外から肯定・否定しているわけではないのである。スピノザはここで意志作用を認識(観念)に吸収したのである。「意志と知性は同一である」。
スピノザは従来の道徳説が、「われわれの意志(自由意志)が感情を支配している」という観点から作りあげられたのに真っ向から反対する。そしてスピノザは「知性」の能力に基づく倫理学を提案したのだった。
すべての感情のなかで、最も治療が必要なのが「人間に対する感情」である。あいつのせいだと考えた途端、感情は思考をかき乱し始める。しかし、そうでなければ、感情はむしろ充実した生の不可欠の要因である。感情には自由意志によって対処するのではなく、知的に対処すべきである。
感情を治療するには、人間というのは単独で何かの原因となりうるようなものでなく、他の原因によって決定されている存在だという点を認識することがまず必要である。つまり、「愛」や「憎しみ」も一つの自然現象としての感情であると理解することである。そうすることで、
「第五部定理3
受動である感情は、われわれがそれについて明晰判明な観念を形成すると同時に、受動であることをやめる。」
感情を自然現象として理解するということは、感情を一般法則によって理解するということを意味するのである。感情は、物体現象と同様、一定の法則にのっとって人間に生じている。
身体の活動能力を増大するような変様が「喜び」をもたらし、逆に減少するような変様が「悲しみ」をもたらす。そして外部の物体の本性に含まれる感情の原因に向けられた喜びが「愛」であり、悲しみは「憎しみ」である。
「感情の治療」とは、誰もがもっている「共通概念」を活用して感情を理解することだが、そのような認識をスピノザは「第二種の認識」と呼ぶ。対して、感情を外部の原因に結び付けて理解するのは「第一種の認識」と呼ばれる。
ところで、「第二種の認識」にともなって生じる諸感情によって満たされた人間の魂(精神)には「強さ」 が帰せられる。定理11以下では、このような「強さ」が最高度に表現されるのは、人間が神を愛するときである、という文脈が現れる。神を愛するものはあの世で救われるのではなく、この世で感情に煩わされることなくおのれの生を肯定する。
われわれが「共通概念」を連結させて思惟するとき、身体の変様は外部の原因から切り離され、一定法則のもとに理解されることができる。そうすると、われわれはもはや感情を誰かのせいにはしない。
人間が互いを自由意志の主体と見なし、おのれの感情を他人のせいにしているあいだは、「共通概念」というせっかくの道具は有効に活用されることができないのである。そこで、自由意志という幻想を否定し、「第二種の認識」にいたることができるようにするのがスピノザの目的であったのだ。
(柴田健志『自由意志の否定は何を帰結するか : スピノザの 『エチカ』第五部における「感情の治療」』より)
自由意志の否定という点で、スピノザは「他人のせいにする」ということがおきないと考えた。これは、コナトゥスとキュピディタスという考え方にも関係しているように思われる。コナトゥスとは自分を守るということで、他人に危害を与えて自己をあえて危険に晒さないということである。その考えから、他人と仲良くし、お互いに平和な社会をつくるという概念、キュピディタスという考え方が出てくる。コナトゥスからキュピディタスに移る際に必要だったのが、自由意志の否定であるように感じられる。自由意志を認め、それに従った生活をしているうちは、コナトゥスの限界から抜け出ることができないからである。スピノザはニーチェとマルクスに影響を与えた思想家だが、ある意味対極にある二人の思想家の思想に影響を与えた点は興味深い。
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