公衆という幻影

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 「現代は本質的に分別の時代であり、反省の時代であり、情熱のない時代であり、束の間の感激に沸き立つことがあっても、やがて抜け目なく無感動の状態におさまってしまうといった時代である。」

 「水平化」、このことが「現代」という時代の特徴である、とキルケゴールは言う。「水平化」とは何であるか。それは、具体性が捨てられ、数学的な数のように人間が扱われることである。言い換えれば、具体的な人間性、あるいは社会性が捨象され、人間の質ではなく量的平等化が求められること、とも言えよう。
 この「水平化」が成立するには、抽象物の幻影が必要である。抽象物の幻影とは、すなわち「公衆」である。キルケゴールは言う。「情熱のない、しかし反省的な時代においてのみ、それ自体が一個の抽象物となる新聞に助成されて、この幻影が出現しうるのである。」「新聞」と訳されている語は、今日でいう「ジャーナリズム」全体のことを指す。「新聞」は、「民意の具体的なあらわれではなく、ただ抽象的な意味のおいてのみ、一個の存在なの」である。
 抽象物の代表である「新聞」から、何ら具体性を持たない幻影である「公衆」が作り出された。「公衆は一切であって無である。あらゆる勢力のうちで最も危険なもの、そして最も無意味なものである」とキルケゴールは断言する。またおおよそ「公衆」に相当するものとして、私的・公的な「おしゃべり」であるという。「公衆とは、最も私的なことにたいして関心をもつ公共的なものだからである。」

 上述したものは、キルケゴールの『現代の批判』の一部をピックアップして要約したもの。