2011年03月24日のつぶやき

NO IMAGE
  • 過剰セキュリティが叫ばれる一方、一ヶ月以上外で作業していては危険な30キロ圏外の存在もなくはない。
    Posted at 11:09 PM
  • 自分を強く持ちすぎないこと、社会的連帯(つまり、人との関係)を絶やさないこと、しかし周りを気にしすぎないこと。人によってすることは違う。非常に難しい問題である。
    Posted at 07:25 PM
  • こうした状況に役立つ学問があるかというと、残念ながら思いつかない。哲学は?否。社会学は?否。心理学は?否。抜本的解決には役に立たないのである。こうした状況を分析するのには勿論役に立つのではあるが、あくまでもツールなのである。精神療法もまた、ケアには役立つが抜本的解決とはいえない。
    Posted at 07:20 PM
  • こういった問題が出てくると、我々は合理的判断がつかない状況に陥る(もちろん常時でもそうなのだが、非常時はこういった選択に常に悩まされることになる)。メンタル面に関して言うと、この状態は勿論良くないのだろう。精神を蝕み、やがて体にも異常をきたす。
    Posted at 07:15 PM
  • 非常時には、心の中で感じる「矛盾」が日常時に比べて激増する。ごくごく一例をあげると、「避難所から帰りたいが、家に帰れない」逆に「(放射性物質の飛散から身を守るために)逃げたいが、それまでの生活水準の維持ができるか見通しが立たないままでは離れられない」などがある。
    Posted at 07:10 PM
  • 避難所生活で町内自治団体等を中心に連帯が作り出されることで、日常時以上の社会的連帯が作られている。そういったつながりを絶つことなく、こういった単位で広域避難をさせるのが望ましい。何も考えず避難させればいいってわけじゃないところが難しいところなんだろうなあ
    Posted at 06:24 PM
  • RT @Newsweek_JAPAN: メディアのバイアスが作り出す「放射能の恐怖」 – http://bit.ly/haXthd
    Posted at 06:14 PM
  • こうした分業が発達した社会において、不幸の平均的強度として用いられるのが自殺の数である。文明社会が発展すればするほど、自殺の数は増える。そういった要因には集合意識の退行による自殺、社会の凝縮度が高すぎる自殺、社会がアノミー(無法状態)に陥ったときに起こる自殺がある。(『自殺論』)
    Posted at 06:06 PM
  • 『社会分業論』 社会の連帯組織、統合原理に関する一種の発展段階説を展開。機械的連帯で構成される環節的社会から有機的連帯の文明社会へと発展し、組織的社会においては、自由な個人としてそれぞれ異なる職能を営むようになる。すなわち、分業の発達である。しかし分業の進歩と幸福の増大は関係ない
    Posted at 05:58 PM
  • RT @iwakamiyasumi: 続き。佐藤前知事は、ウランの価格だけでなく、ウランの重量で算定する新たな基準の導入を試みた。こうした動きに対し、東電常務から、「どんな手を使ってでも(核燃税の新たな算定基準の導入を)潰してやる」という「脅し」を受けたという。
    Posted at 01:32 PM
  • RT @team_nakagawa: ある方にお願いして、煮沸によるヨウ素の濃度変化を検証する実験を、水道水中に含まれるI-131を対象に行いました。その結果、水道水を煮沸すればするほど水蒸気だけが飛んで、I-131が濃縮されました。もし、煮沸しようとされている方がいれば …
    Posted at 12:26 PM
  • http://twitter.com/Boreas_Anti